あなたがまだ知らないウサイン・ボルトにまつわる驚きの10エピソード

こんばんは、走り人です。現在2017年8月6日0時を回りました。いよいよ今夜がボルト選手の最後の100mです。果たして有終の美を飾ることができるのでしょうか。決勝が始まるまでの時間を使ってボルト選手にまつわる10つのエピソードを紹介していきたいと思います。

  1. 全てはランチを賭けた勝負から始まった
  2. 慈善事業に取り組んでいる
  3. 前半が遅いというのは大きな勘違い
  4. 卓越したクリケットの選手でもあった
  5. 自分の名前がついたアプリが配信されている
  6. ジャマイカでレストランを経営している
  7. 背骨の障害に悩まされつつも数々の偉業を達成した
  8. Healing Hansという異名をもつちょっと怪しい医師の元で治療を受けている
  9. リレーにおける100mの区間タイムは驚きの8秒台
  10. 型破りな方法で勝利をおさめてきた

1. 全てはランチを賭けた勝負から始まった

ボルトがまだ12才だったころ、地元の聖職者ヌージェントは若者が彼の親友のリカルドと「どちらの足が速いのか」口論しているのを耳にした。そこでヌージェントは勝者へサービスランチをご馳走するから勝負するよう持ち掛けた。そして、勝負に勝ったのはボルトだった。
戦利品のランチを夢中で食べているボルトにヌージェントは話しかけた。「リカルドに勝てたなら誰にだって負けないでしょう」こうしてスターが生まれたのです。

2. 慈善活動に取り組んでいる

2009年、ボルトは自身が名をつけたナイロビにあるチーターの子供を保護する施設に10000ポンド以上寄付した。そしてこれまでも毎年2300ポンドを寄付し続けている。

そしてこの取り組みは、彼の実家の近くのボルト財団にって行われている。ボルト財団は地元の若者を応援し、地域の活性化、才能ある若者へ学問の道を開くことを目標としている。

いまや彼の広告効果は何百万ドルもあるだろう、しかし、彼は地元の町のためにPUMAとの契約を続けている。PUMAによってボルトの母校、ウィリアムニブ高校にスポーツの備品が送られ、彼の後輩たちの助けになっている。郷土愛は彼のスパイクからも感じることができる。引退となる2017年のスパイクは母校のスクールカラーである緑と紫、そしてボルトのシンボルカラーのゴールドで彩られてるのだ。

あなたが見るボルトの広告はその大半がジャマイカで、ジャマイカの人によって撮影されている。これはジャマイカという国を世界により多く知ってもらうため、地元の企業を活性化のためだ。誰の意図が意図したことかって?もちろんウサインボルト本人だ。

3. 前半が遅いというのは大きな勘違い

よく言われることに反し、スタートがばっちりハマったときのボルトは世界でも有数の飛び出しを見せる。実際、北京大会で世界記録を更新した際の60mの通過タイムは現在の60mの世界記録を上回っている。60m時点で既に他のライバルたちを置き去りにしていたのだ。「ボルトは前半が遅い」というのは大きな勘違いだ。

4. 卓越したクリケットの選手でもあった

圧倒的な速さはトラックの外でも大活躍。クリケットのインド代表選手など試合をして活躍したこともあるようだ。

5. 自分の名前がついたアプリが配信されている

「Bolt!」というゲームがジャマイカの新着アプリランキングにて1位になった。さらに、2012年のイギリスの無料アプリランキングで2位を獲得している。めったに1番は譲らないボルトではあるが、このランクインを本人は喜んでいたようだ。このゲームではアイテムを手に入れつつ、走るスピードを競う。そして、それを邪魔する敵として「海賊」が登場するようだ。さすがカリブの国ですね。

6. 前半が遅いというのは大きな勘違い

ウェブ上にはカリブ地方でナンバーワンの音楽とスポーツを楽しむバーと書かれており、ジャマイカの食事だけでなくさまざまなことを楽しむことができる。敷地面積は7,000平米。(陸上競技トラックの内側がだいたい10000平米だからそのとんでもない大きさが分かりますね!)店内にはバーやラウンジがところどころに備えられていて、ハイテク商品をあつかうブースからボルトの商品なども売られている。さらに、スポーツ観戦を楽しむために45個のスクリーンが配備されている。すばらしい音楽と料理、そして人々同士の触れ合い。 行ってみたくてたまらない。

7. 背骨の障害に悩まされつつも数々の偉業を達成した

大きな体格から生み出される圧倒的なストライド。身体の特徴上、ボルトが優位にあることは誰もが認めることだろう。しかし、背骨だけは走るのに不向きだ。生まれつき背骨が曲がっている脊柱側湾症という症状を抱えているのだ。特に若い頃はこの症状がボルトの競技力向上を妨げた。アンバランスな身体で走ることは無理な負担をかける。その結果、怪我をしがちだったのだ。ボルト自身、背骨のせいで自分の才能が開花するのが遅くなったことを語っている。

ミルズコーチを中心にしたチームでボルトは肉体改造-特に体幹、身体の後ろ側を中心にした強化 に取り組んだ。その結果、脊柱側湾症を克服して彼の才能が開花することになったのである。

また、彼は一人ではなかった。脊柱側湾症は確かに不利かもしれない。しかし、イギリスの中距離選手であるエメリア・ゴレッカ、ルーマニアの体操競技オリンピック選手であるアレキサンダー・マリネスキュー、アメリカの水泳選手ジェニファー・トンプソン、みな脊柱側湾症を抱えつつも偉大な競技成績を残している選手だ。彼らの存在がボルトを支えてたのかもしれない。

8. Healing Hansという異名をもつちょっと怪しい医師の元で治療を受けている

雄鶏のとさかから取れる「Hyalart」、ふくらはぎのあたりの血液から取れる「Actovegin」をボルトは16歳の頃から服用している。これらを処方しているのはこれらのドイツ人の専門医、ヴォールファルトである。 今もなおボルトは年に3度はこの70代の医師のもとを訪れているという。この医師もとを訪れるのはボルトだけではない。世界的ミュージシャンであるU2のボーカリストであるボノやオペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティ、テニス選手のボリス・ベッカー、そしてボルトのライバルのタイソン・ゲイなども彼のお世話になっている。

ヴォールファルトは鍼とホメオパシー(同種療法)のスペシャリストでもあり、アスリートらから絶大な信頼を得ている2009年の北京の世界選手権ではファイナリスト8名のうち5名が彼の顧客だったことがそのことを物語っているだろう。ボルトからもらったサイン入りのプーマのスパイク自身のオフィスに飾り、自慢しているヴォールファルト師。すこし怪しく謎めいた存在である。

9. リレーにおける100mの区間タイムは驚きの8秒台

2009年のロンドン世界選手権、4×100mリレーでのボルトのスプリットタイムは8.70。アメリカのライアン・ベイリーを引き離して36.84でフィニッシュした。ボルトといえば個人種目に多くの注目が集まるが、いつだってジャマイカのリレーメンバー6人に選ばれ続けてきたことも驚きだ。そして常にスプリットタイムは9秒を切る。とんでもないことだ。

10. 型破りな方法で勝利をおさめてきた

1997年にチャンバワンバで行われた試合の準決勝に出場して以来、一時は表舞台から遠ざかることとなる。しかし彼は歴史を塗り替えに戻ってきた。

2008年に100mの世界記録を塗り替えたときには、最後の数歩を両手を広げ流して走り、フィニッシュの際も胸を手で叩く余裕を見せた。スパイクの靴紐はほどけていたなんて話まであるほどだ。その日の彼の食事が何だったかって?マクドナルドのナゲットだ。

3年後の2011年、世界陸上テグ大会、ボルトはフライングでの失格。2008年以降はじめて世界陸上、オリンピックといった大きな大会のタイトルを逃すこととなった。そして以降2016年まで、大きな大会でのタイトルは守り続けている。

https://youtu.be/NSo8sfJnLgU

 

2015年の北京で行われた世界陸上にはアクシデントに見舞われた。200m決勝の後、セグウェイに乗って至近距離でボルトを撮影していたカメラマンが、バランスを崩して裸足のボルトに突っ込んだのだ。リレー種目を残す中、左すねに血がにじむような怪我をおったボルト。しかし、勝利までにアクシデントがつきものなことを彼は既に知っていた。怪我に狼狽することなくリレーで優勝をおさめたのだった。